ショートショート

福音

 高校3年の夏休みーー。
「広島へ引越すの……」と彼女は寂しそうに言った。
「そうなのか……」という言葉しか出なかった。
彼女は繋ぎ止めて欲しかったのだ。行くなと言って欲しかったのだ。

 初めて訪れた広島の街並を眺めながら、平和記念公園へと向かった。原爆ドームを後方に臨む慰霊碑の前に立つと、『過ちは繰返しませぬから』という石棺の碑文が語りかけるように心に響いてきた。
 夏の照りつける日射しを見上げハンカチで顔の汗を拭った時、耳の奥に微かな音が聞こえた。遠い記憶のなかに刻み込まれた音。
 ゆらゆらと揺れる陽炎の中を独りの女性がこ
ちらに向かって歩いてくる。
 彼女の歩くリズムに合わせて聞こえて来る鈴の音。確かにあの鈴の音だ。あの日、別れ際に彼女がくれたお守りの鈴の音。
 茫然自失として音の主を見つめる自分との距離があと数歩というところで、彼女の足が止まった。息を呑んで立ち止まった彼女の持つバッグには、あのお守りが付けられていた。まるで時間が止まったかのように、お互いの顔を見つめ合ったまま長い沈黙が流れた。少女から大人の女性になっても澄んだ瞳の輝きはあの日のままだった。
 長い時間を経てようやく再会した彼女をもう離しはしない。あの時に繋ぎ止められなかった悔しさを忘れはしない。そう心に呟いて彼女の瞳をじっと見つめた。

——過ちは繰返さない。

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 夢のなかで、俺は高校生に戻っていた。
 花火大会の日、夕暮れの公園で彼女と待ち合わせをしていた。近くの商店街には提灯が灯され、小さな子供の手をひいた親子連れが楽しそうに歩いてゆく。俺も将来はあんな風に彼女と幸せな家庭を築くことができるのか? そんな未来への期待と不安が入り交じった思いで暮れなずむ茜色の空を見上げたとき、ふと彼女の声が聞こえたような気がした。あたりを見回しても彼女の姿はなかったが、商店街を歩く人波のなかに彼女を見つけた。とても声が届くような近さでもなく、彼女の姿を人波のなかに識別できる距離でもないのに、俺の五感ははっきりと彼女を感じとっていた。やがて俺の前に現れた彼女は、どこか儚げな表情で微笑んだ。
 そこで目が覚めた。いつも見る同じ夢——。
 あの日、浴衣姿で家を出た彼女は僕と待ち合わせをした公園に向かっていた。横断歩道を渡っていた彼女に、居眠り運転のトレーラーが襲いかかった。病院に駆けつけた時には既に彼女は亡くなっていた。待ち合わせの公園で聞こえた彼女の声は、きっと俺に助けを求めた彼女の心が発した声だったのだろう。
 葬儀の後、彼女の母親から手渡された小さな鈴のついたお守り。あの日、俺に渡そうとして叶わなかった縁結びのお守り。彼女はそれを最後まで握りしめていた。
 あの日から彼女は永遠に俺の心の中で生きている。今も目を閉じれば、そこに優しい微笑みを浮かべた彼女の姿がある。生涯独身を通し、彼女を想い続けてきた俺の人生もようやく幕を降ろそうとしている。気がつけば平均寿命よりも長生きしすぎた。
 窓から入る風に枕元の鈴が小さく揺らいだ。その優しい音色がまるで俺を呼ぶ彼女の声のように聞こえた。
 俺は目をつぶり、瞼に浮かんだ彼女に言った。
「今、そっちに行くから……」
 それが俺の最後の言葉になった。暗転してゆく意識のなかで、鈴の音だけが聞こえていた——。

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ラブレター

 披露宴の二次会までは親しい友人たちが集い、三次会のカラオケでは歌うのが好きか、未だに独身を貫いている嫁き遅れが互いの不幸を舐め合う場となる。私もウエディングブーケには縁のないグループの構成員のひとりだ。嫁にいくだけが女の幸せじゃない、と嘯きながらマイクとリモコンを離さない女たちを残して、私は木枯らしの吹き抜けるホームから終電に飛び乗った。
 温もりのない寒々としたマンションに戻るとストーブをつけ、酒と煙草の臭いが染み付いた服を脱ぎ捨てて、ゆっくりとシャワーを浴びる。裸のまま頭にタオルを巻き付け、冷蔵庫からだしたミネラルウォーターをごくりと飲む。熱いシャワーで火照った身体に冷たい喉越しが心地よい。
 留守番電話のメッセージランプが点滅しているのに気がついたとき、何故かそれが悪い知らせであることを知っていた。一度大きく深呼吸をしてメッセージを聴く。
 中学校の初恋の彼が、突然の自動車事故で死んだ——。
 葬儀に集まった懐かしい顔ぶれは皆泣いていたが、不思議と涙はでなかった。白い花に囲まれ静かに眠る彼の胸元に、天国に行って読んでくれるよう願いをこめて私は手紙を置いた。二十年前、終に渡すことのできなかった彼への想いを綴った手紙——。
「惚れてたんだろう?」
 火葬場の煙突から立ち上る白い煙のなかに、微笑む彼の顔が見えたような気がしたとき、ふいに声をかけられた。彼と仲のよかった同級生のひとりだ。今まで誰にも話したことなどないのに、どうして私が彼に恋心をよせていたのを知っているのだろうか。
「とぼけてもバレバレだよ。お前わかりやすい性格だからな」
「そう……。知ってたんだ……」 
「いくら見た目は女でも、やっぱり男どうしは結婚もできないしな」
 冬晴れの空を見上げた私の瞳が潤んでいたのは、乾いた風のせいだろうか——。

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秘密

 大学を中退して俳優になることだけを夢見ていたあなた。定職にも就かず不規則なその日暮らしをしていたあなたにお別れを告げ、 目の前の安定という幸せに縋りついてしまったのは私の我侭でした。
 二十年という時の流れを経てあなたは俳優として成功し、私は平凡な主婦の一人として時折あなたが出演する映画やドラマを観ています。あなたの姿を目にするたび、胸を締めつける切ない想いに打ちのめされそうになります。
 あなたはいつも言っていましたね。将来は自分の息子と共演したい——と。
 半年ほど前、あなたが主演する映画のオーディションを受けに行った息子が、顔を輝やかせながら帰ってきたのを今でもはっきりと覚えています。あなたの息子役として共演するという報告を聴いて、私は目眩を覚えました。
 でも、いつかはこの日が来るとわかっていました。息子が劇団のオーディションに受かった時から——。
 複雑な思いを抱いて座った映画館の席。劇場のスクリーンに映しだされた親子を演じる二人を観て、思わず涙が溢れてしまいました。涙で歪んだ映像にあの頃の私たちの想い出が重なってしまい、上映が終わった後も暫く席を立つことが出来ませんでした。
 映画館を出た私は、ざわめく心を鎮めようとあてもなくただ歩き続け、気がつくと二十年前に二人が暮らしたアパートの前に立っていました。古びた建物の窓から洩れ聴こえる笑い声に楽しかった想い出が蘇り、涙が止めどなく溢れてきました。
 それでも何とか家に戻った私は、布団のなかで一晩泣き明かしました。夫は出張中、息子もドラマの撮影で地方に行っていたのがせめてもの救いでした。
 何という運命の悪戯なのでしょう。
 誰にも打ち明けられない、私だけの秘密。
 だって、あの子はあなたの息子なのだから——。

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転生

 ある嵐の夜に夫が失踪してから、三年の月日が流れた。私は夫のあとを引き継ぐように研究に没頭している。平安時代の陰陽師・安倍晴明の研究だ。
 ——あの日。夫は夜遅くになって何か重大な秘密を掴んだらしく、嵐の吹き荒れるなか晴明神社へとでかけてゆき、そのまま行方不明となった。
 翌朝、落雷があったらしい御神木のそばに落ちていた夫の眼鏡以外に遺留品もなく、事件なのか事故なのかすらもはっきりとせず、捜査は暗礁に乗り上げたままだ。
「晴明神社の修復現場で、何かでたらしいですよ」
 大学の研究室に戻ると、事務局からそう内線電話がはいった。
 平安時代に建てられ、老朽化した社の一部を修復する作業が先月から始まっていて、私も毎日のように現場に行っている。建築学の分野では興味をひくものが多いらしいが、私の心を揺り動かすような特別な発見はいまのところない。
 どうせまた建築上の発見というやつで、梁の組上げ方が特殊だとか、屋根瓦の素材が特別だとかいうことだろう。せめて鬼門の位置に魔除けの何かが埋設されていた、とかいうようなものであれば触手も動くのだが。
 それでも、今回は何かに呼ばれているような気がした。突き動かされるように私は現場へと急いだ。
 青いシートが掛けられた修復現場では、建物の基礎にあたる一部が堀かえされていた。
 基礎の敷石の下に埋まっていたんですよ、と現場の責任者から見せられたのは——一本の万年筆だった。
「これは……」
 ひび割れ、元の色すら判別できないほど変色した万年筆だが、見覚えのある品を私は恐る恐る手に取った。
 そこには失踪した夫の名が刻まれていた。
 ——あべ・はるあき。
 あの日、落雷によって遠く平安時代に飛ばされた夫は、それまで研究した知識と二十一世紀の科学をもって、自らが『陰陽師・安倍晴明』となったのだった。

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タイムマシーン

 休みの日だというのに博士に呼び出された私は、ひとけのない構内を研究室へと急いだ。
「おお、来たな。今日は人類の歴史に残る、記念すべき日になるぞ」
 博士は上機嫌でそういった。
「ついに完成したんですか?」
「そうだよ。これでついに私は『時の旅人』となるのだ」
 ずり落ちた眼鏡をなおしながら、やや紅潮させた顔を輝かせている。
 私がこの研究所に入所する以前から、博士はタイムマシーンを研究していた。そしてついに完成したらしい。
「留守を頼むよ」
 博士はそういうと、カプセルに乗り込んだ。
 博士がいつの時代に行くのかを訊き忘れてしまったが、以前から未来の科学技術を見てみたいと言っていたから、たぶん未来へ旅立とうとしているのだろう。
 電子回路が起動し、低い唸り音が床を振動させる。私はカプセルから離れて世紀の一瞬を見守った。
 次の瞬間、落雷にでも遇ったかのような閃光と爆発音に私は気を失い、目覚めたときには博士の乗ったカプセルは跡形もなく消え去っていた。窓ガラスは割れ、床には焼けこげた跡だけが残されていた。
 ——十年後。
 建物の老朽化が進み、研究室は建て直されることになった。古い建物が取り壊され、掘削作業が始まると、そこから弥生時代後期と思われる集落の跡が発見され、工事は一時中断されることになった。
 ある日の夕方、仮設された研究室の窓から発掘作業の行われている現場を眺めていると、ふと懐かしい博士の声が聞こえたような気がした。吸い寄せられるように現場に行ってみると、発掘現場の大きな穴の底で何かが光っていた。
 私は泥まみれになりながら、その穴の底へと降りてみた。
「博士……」
 弥生時代の地層から半分顔をのぞかせ夕陽に反射していたのは、十年前に姿を消してしまった博士の眼鏡だった——。

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網棚

「もう会えなくなっちゃうね」
 裕子は寂しそうに私の顔を見つめる。中学の三年間を私と一緒にこの電車で通学してきた彼女は、父親の転勤で遠くの土地に行ってしまうという。
「そうか、寂しくなっちゃうね。裕子が唯一の友だちだったのに……」
 彼女の他におしゃべりをするような友だちは、私にはいない。そのことを十分に承知している裕子は、下を向いたまま黙ってしまった。
「しょうがないよ、裕子のせいじゃないんだし。それに新学期になれば、また誰か友だちになってくれるような人が現れるかもしれないからさ」
 私はできるだけ明るくいったつもりだったが、顔をあげた彼女の瞳は涙で潤んでいた。
「誰かお話しのできる人が現れますように、って祈ってるから……」
 そういって彼女は電車を降りて行った。

 新学期が始まり、電車のなかの顔ぶれもだいぶ入れ替わったが、私は相変わらず三両目の前方右側の定位置にいる。
「あのう……」
 ある日の夕方、やっと会話のできる人が現れた。今年入った一年生の彼女は、まわりの目を憚るように小声で話しかけてきた。
「どうして、そんなところにいるんですか?」
 三年前、中学の制服を着て網棚の上に寝そべっていた私に、裕子も同じように話しかけてきた。私の姿が見える人は殆どいないのだ。両親の離婚と学校内でのイジメが重なり、駅のホームから投身自殺を図った私は、気がついたら幽霊となってこの電車に乗っていた。あれからもう二十年の歳月が流れている。
 私は網棚から降りて、空いている彼女の隣に座った。これから彼女が中学を卒業するまでの間は退屈せずに済みそうだ。


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自覚

 うちは母子家庭だ。自称文学少女で作家志望の私は、就職した今でも夜な夜な原稿を書いては新人賞に応募しているが、未だに一次選考を通過するのがやっとという状況から抜けだせないでいる。一日も早く売れっ子作家になって、多額の印税で母に親孝行をしたいと思っている。
 朝方近くまで推敲を重ねた原稿をポストに投函し、夏の日射しが容赦なく照りつける道を駅へと急ぐ。寝不足と貧血で少し頭がふらつく。時間短縮のため、駅前にかかる歩道橋をパスして横断禁止の道路を渡りはじめると急に目眩がした。
 次の瞬間、タイヤのきしむ音と同時に身体に大きな衝撃を感じ、私の意識は暗転した——。

 半年後、ついに受賞した私の作品と顔写真が雑誌に載った。母はそれを見て泣いていた。
 今まで書き溜めていたものが次々と出版され、あっという間にベストセラー作家と呼ばれるようになった。長年の夢が叶い、これまで苦労して私を育ててくれた母に、やっと親孝行ができるときがきたのだ。
 私は散歩の途中で、駅ビルのなかの書店に入った。
 入り口付近の平台の上には私の著作が並んでいて、嬉しいような恥ずかしいような複雑な気持ちになる。
 ふと、雑誌の棚のところにいる女子高生たちの会話が耳に入ってきた。
「……だって、死んじゃったんでしょ? じゃあ、本人は印税もらえないじゃない」
「母親の口座に振り込まれているらしいよ」
「へえ、そうなんだぁ」
 私は女子高生たちが開いている写真週刊誌を後ろから覗き込んだ。
 ——駅前の歩道橋の下でトラックに跳ねられ、頭部から血を流して倒れている女性の写真。

 そろそろ自分が『死んでいる』ということを自覚しないと——。

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